天国でわたし達を見守るようになって9日が過ぎましたね。ギフチョウが北摂の地でもふつうに飛ぶようになりました。写真見てくれました。気温があまり高くなくて多くはありませんでしたが1ぴきは足下にとまってくれました。
チョウの好きな人は春になると毎年のようにギフチョウに会いに行きます。去年も行ったのに。そんなことなど考えもしません。ギフチョウに会わないと、幕が開かないかのようです。ギフチョウはそんな春の輝きを放つチョウのようです。今年のギフチョウはこれまでに見たどのギフチョウよりも輝いて見えました。写真を撮るときも、「もっと輝いて。もっと。もっと。」という言葉だけが頭の中にありました。
あなたが教えてくれたのは、じつはギフチョウの輝きだけではないような気がします。ギフチョウだけでなく、すべての生き物たちが、すべての物が、すべての人がそれぞれの輝きをもっているんだよ。その輝きって、そう、生きるということだよ。
わたしの病気も自分が思い通りにならなくなってから2年たちました。何もしたくなくなったわたしが、これまで撮影などしたことのなかった、人や古い建物などの写真を撮るようになりました。子どもの笑顔の写真が撮りたい、働く人の写真が撮りたい、歴史をいっぱいつめこんだ古びた建物を撮りたい、顔がしわくちゃになったおじいさんやおばあさんの写真が撮りたい…。
生きている。それを感じられるからだと思います。
身のまわりのものが偶然重なるようにして教えてくれたようです。もちろん今一番強く後ろからおしてくれているのはあなたです。
生きている輝きを探しに、前に向かいます。
このホームページも10年以上がたちました。もともと、自然の素晴らしさを子ども達に伝えたい、そんな思いから始めました。今もそれは変わっていません。生き物以外の素晴らしさも伝えられたらいいなと思っています。
このホームページは写真を見てもらうために作ったのではありません。知らなかったでしょ。見てから自分も会いに出かけたいな、そんな気持ちになってほしくて作り始めたのです。大人たちは、今の子どもは木にも登れないと言います。でも子ども達のまわりから木を奪ったのは今の大人です。空き地すらないのですから。土にも触れないでしょう。子ども達には一生にかかわる大切なことなのですが。
わたしには、身近にそんな土に触れる場所すら作ってあげることができません。きっと近い未来にはそのようなものが戻って来るとは思うのですが。でも、今のそんな子ども達が一生背負っていかなければならないものを何かで補ってあげたいと思います。
それは生きることの素晴らしさを見つけさせてあげることです。
今、こんな気持ちになっています。このようになるとは考えてもみませんでした。ありがとう。やっぱりあなたのおかげです。わたしのまぶたには、ときどき涙は流れていたけれど、いつも笑って話してくれたあなたの顔が焼きついています。握ってくれた手をはなさなければよかった。ずっとそう思っていました。
でも、あなたの笑顔や手はいつもわたし達のまわりにあるのですね。ただ、それに気づかなかっただけなのですね。
生きるということを。
|