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ホーム 》 変わったくらしをする生き物 》 カラスのくらし…冬塒 |
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2006年2月13日、雲ひとつない快晴の空の下2匹のカラスが日向ぼっこ(?)をしていました。 ずっと以前のことです。冬のカラスを調べたことがあります。その記録です。 |
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しかし、そのようなきらわれもののカラスには、とてもおもしろい生活が、見られます。他の鳥たらとくらべると、頭がよく、生活の仕方に変化があります。時おり家畜にいたずらをし新聞をにぎわすこともあります。また、飛んでいる時に、トビと追いかけっこもします。大阪府池田市のあたりで調べると、昼間トビとカラスは、同じような場所で生活をしています(※1)。このために、このようないざこざが、おこってしまうのかも知れません。また、電線にぶら下がって遊んでいるのを、見たこともあります。他の鳥たらが、ようもないのに電線にぶら下がっているようなことはあまりありません。 このように、生活の1こまずつを観察してみてもおもしろいのですが、もっと変わった生活のようすを観察することができます。池田市内では、桃園1丁目のゴミ処理場で、多くの姿を見ることができます(※2)。また、駅の周辺や五月山などいたる所で、数羽のカラスがうろうろしているのを見ることもよくあります。ところが、このカラスが、夜同じ所で生活をしているとしたらどうでしょう。いや、そればかりではありません。猪名川のもっと下流や、上流では兵庫県川西市清和台のもっと北で昼間生活をしているカラスたちも、同じ所で夜をすごしているのです。特に冬は、多くのカラスが、1か所に集まっているようです。 1977年11月25日。近くのカラスの生活を調べようと、家を出かけました。後でわかったことですが、実は、すぐ近くのゴミ処理場に多くいるのに、その時は、気づいていなかったのです。午後2時40分、子どものころのぼんやりとした記憶から、川ぞいで簡単に見つけられるだろうと、猪名川グランドの北のはしに出ました。そこでは、30羽ほどのスズメの群れには会うことができましたが、カラスには会えません。仕方なく呉服橋をこえ中橋のあたりまで行きましたが、それでも1羽も見あたりません。「こんなはずはないのに。」と、思いながら、まわりの見わたせる五月山に登ってみることにしました。3時28分、大広寺前の一望台まで登ると、上空を5羽のカラスが、ぽつりぽつりと猪名川ぞいに南から北へ飛んでいくではありませんか。今日は、ここで調べることにしました。 3時30分、また4羽が北に向かって飛んでいきます。しばらく間があり、41分、今度はガァガァとわめきながら8羽が飛んでいきます。1羽は高い所をみんなからおくれています。どこからか、すぐ近くを飛んでいく声がしますが、東側は大きな木がしげっていて確かめることができません。43分、ふと猪名川に目をやると、川の上空を2羽がやはり上流に向かっているのがわかりました。このようにして、この日3時28分から4時47分まで、日の届くはん囲で93羽のカラスを数えることができました。 それから3日後の28日、行き先を調べるために、夕方、猪名川にそって上流に行く清和台行きのバスに乗りました。4時5分、西本町の上空を2羽のカラスが北へ移動していきました。バスの中からずっと空を見上げていました。21分、川西市矢問(やとう)で30羽ほどの群れがバスの上を通過しました。ところが、多田神社に着くと、1羽のカラスがうろうろと北西に飛んだかと思うと、今度は逆の方向に向かっていきました。4時30分、清和台の手前でバスを降りました。ちょうどまだ家の建てられていない空の見わたせる広い空き地がありました。空を見上げていると、4時36分、1羽のカラスが川にそって下っていきました。この日4時36分から5時15分まで調べたものをまとめたものが、グラフ1です。全部で、185羽を数えていました。この時刻には、清和台の上流の地域から、これだけものカラスが南へ向かって帰っていくのです。カラスのねぐらは、矢問のあたりと思われます。 1980年の冬の初め、鼓ケ滝のカラスのねぐらを訪れました。日没前、数えきれないスズメの群れが舞っていました。その鳴き声は、夕立ちがトタン板をたたくほどの力強さがありました。そして、肉眼でははっきりとまわりのようすが見えなくなるころ、カラスの大群の、ねむりにつく前の鳴き声を聞くことができました。 |
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※1 今ではトビの姿はあまり見られなくなりました。 |
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※2 最近は、処理場の近くでも見かけなくなってきました。 |
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